ツイッターを使い始めて数カ月が経ちました。それまではあまりツイッターを使わなかった私にとって、新鮮で刺激的な体験となっています。そこで、今回はツイッターを使って感じたことについてお話ししたいと思います。
①知らない不特定の相手に理解してもらうのは簡単ではない
ツイッターは、情報を発信したり、他のユーザーのつぶやきを読んだりすることができます。しかし、自分が発信する情報が、相手にどのように受け止められるかは非常に難しいと感じました。自分が思っていることを簡潔にまとめ、それを相手に伝えるのはとても難しいことだと実感しました。下手にすれば誤解されてしまう可能性を否定できません。誤解されると、揉めて時間が無駄になり、気が重たくなるだけです。
②日本の「村社会」が見える
ツイッターを使っていると、日本の「村社会」的な文化が浮き彫りになることがあります。同じ考え方や同じ趣味を持っている人同士で会話をすることが多く、その場合、他人からの意見や発言に対して、否定的な反応が多いように感じます。また、政治や社会問題についての話題が出た場合、一定の固定フォロワー同士で意見を交換することが多い印象があります。人と違う意見をツイートすれば、「村八分」にされるおそれも充分にあります。グループを守る観点からすればいいのですが、反面このような考え方で差別・偏見も生まれやすいのは否定できません。
③情報弱者が多くて、彼らは差別&偏見を発言している傾向がある。
ツイッター上で、情報弱者が多いことにも気づきました。特に、社会問題について詳しくない人が多いように感じます。彼らは、差別や偏見を発言する傾向があり、それが拡散されてしまうことがあります。このような現象が起こる原因は、情報の信憑性を確認する力や知識が不足していることが考えられます。
④私にとって、日本語が勉強でき、見えない不特定の相手とのやり取りで自分を鍛えるチャンス
私は外国人で、日本語の勉強をしています。ツイッターを使っていると、日本語を学ぶ上で非常に役立つと感じました。日本人が普段使っている日本語表現をリアルタイムで見ることができるので、語彙力や表現力を向上することができます。
以上が、私がツイッターを使って感じたことです。ツイッターは、自分自身がどのように情報を発信したいのか、また、どのように相手に情報を受け取ってもらいたいのかということを考える良い機会だと感じました。また、ツイッターは、自分が興味のある分野について情報を集めることもできます。情報収集の手段としても非常に有用だと思います。
それに、ツイッターを使っていると、日本の政治や社会問題についての意見を多く目にすることがあります。これは、一定の情報量を持つ人たちが集まっているからこそ可能なことだと思います。ただ、その一方で、ツイッター上での議論は熱くなりすぎて、場合によっては偏った意見が目立つこともあります。そのため、自分自身が情報を吟味することが必要だと感じました。
イッター上でのやり取りは、見えない相手とのコミュニケーションを行うため、自分自身を鍛えるチャンスにもなります。相手の反応や意見に対して、適切な返信をすることで、コミュニケーション能力や応用力を向上させることができます。異なる意見や価値観を持つ人々とのやり取りを通じて、自分の考え方や見方を深めたり、新たな視点を得たりすることもできます。これは、自分の人生において非常に有益なスキルとなります。
以上、私がツイッターを使って感じたことについて紹介しました。SNSを使っている人にとっては、自分自身が情報を発信することや、興味のある分野について情報を集めることができる素晴らしいツールだと思います。ただ、情報を選別する力や、偏った意見には注意が必要だということを忘れずに利用していきたいと思います。