今日は日本における外国人の受け入れについて、書きたいと思います。
結論から言いますと、日本は「外国人の受け入れ」ができていないのです。外国人は増加していますが、本当の「受け入れ」はできていない状況です。ちょっと違う展開になってしまいますが、まず「受け入れ」という言葉の意味から見て見ましょう。
辞典を見てみると下記のようになっています。
うけ‐いれ【受(け)入れ】
1 人や物を迎え入れたり、引き取ったりすること。「新入生の受け入れ態勢」2 承知すること。承諾。承認。「要請の受け入れに難色を示す」
引用元: weblio
つまに、「迎えいれる」「引き取る」と「承認する」ということになっています。
人の「受け入れ」の場合は、対象者を迎え入れるだけではなく、その文化・習慣も「承認」しなければ、「受け入れ」とはならないと私が思っております。
ですが、日本における外国人の受け入れ現状はそうではありません。外国人を迎え入れるだけが行われていて、承認は殆ど行われていないのです。といいますと、外国人の差別はまだ結構残っています。一番分かりやすい例を取り上げます。それは、近所に外国人が引っ越ししてきた場合、それに対する地元の日本人の反応です。
殆どの場合は、「警戒」「見張る」のです。日本人が引っ越ししてきたら何もないですが、外国人の場合は、その一挙一動を見張っていて、何かあれば、すぐに管理会社にクレームを入れたり、警察を呼んだりしています。外国人は日本人と違う存在なので、警戒する心理は理解できます。しかし、「外国人」という理由だけで敏感すぎているのば別の問題なのです。じつはこの「敏感すぎている」のは、差別にも繋がります。
当然、外国人には「郷に入っては郷に従え」を踏まえて行動してもらうのも必要があります。しかし、日本人にも、「受け入れ」(承認)してもらわなければなりません。厳しく見張るのではくて、心を開いて見守って、外国人に溶け込んでもらう必要があります。
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